「あー…あーあー……」  夜。言霊は誰も居ない庭園で日課の歌の練習をしていた。 「あーえーいーおーうー」  喉に片手を添えながら、心持空を見上げるように顔を上げて声帯を振るわせる。  彼女はもう随分と長い間発声練習ばかりしていた。何度も何度も発声しながら、その都度首をかしげて喉にあてている手の位置を変 えたりとか空を見上げる顔の角度を変えたりしている。歌の練習の前段階にしては、いささか丹念に過ぎる。 「あー……あーっもうっ!!」  不意に発声を止めると、苛々したように地面を踏みつける。それから肩を怒らせると、夜空に向かって叫んだ。 「どうしてこんなヘンな声になっちゃうのよぉぉっ!」  彼女がしていた発声練習。  それは、驚くほど『澄んで』いてまるで鈴の音みたいに『綺麗』な声だった。  あの歌声をもう一度 1 「と言う訳で、今からリサイタルやるから付き合いなさいっ」 「…え〜と、何のこと?」  なぜかビシッとレオに指を突きつけてくる言霊に、自室で読書に勤しんでいたレオは額に一筋の冷や汗を流しながら、困ったように 訊ねた。 「だ・か・ら!今からリサイタルをするのよっ!…あっ、べ、別にレオにどうしても来てもらいたいとかじゃなくて、ただここの所調 子が悪いからレオにも知らせた方がいいとか思っただけだで…とにかくそう言うわけなのよっ!」  何がどう訳のかは不明だが、レオにはそんなことよりも気になることがあった。 「調子が悪いって…どうしたの?」 「そ、それは……そ、そんなのどうでもいいじゃない。付いて来れば分かるわよっ!」  本当に心配するような気遣わしげな視線を向けられて、言霊は顔を赤くして俯いてしまう。「…どうしてこんなことばかり無駄に鋭 いのよ」とか口の中でもごもごと呟いているが当然レオの耳には届かず、逆に口篭るほど大事なのかと勘違いしてしまう。 「言霊…その、僕はどんな話でも受け止める覚悟はできてるから、素直に話してくれると嬉しいな」  覚悟を決めたように真剣な表情になるレオに、言霊は余計に真っ赤になってうろたえる。 「…ふ、ふんっ、レオに心配されたって、別に嬉しくもなんともないんだから」  嬉しかったらしい。 「そんなことより、どうするのよ?来るの?来ないの?」 「…分かった。付き合うよ」  誤魔化すように不機嫌そうに訊いてくる言霊に、レオは素直に頷いた。やはり言霊のことが心配だし、これ以上余計なことを言って 機嫌を損ねるようなこともしたくない。 「ふんっだ。じゃあ、さっさと行くわよ」  言霊はレオが頷いたことに安堵しつつ、しかしそれを隠すように無闇に肩を怒らせたまま部屋を出て行った。 (…言霊のリサイタルか…うう、大丈夫かな?)  レオは僅かな不安を感じつつも一度承諾してしまったものは仕方がないので、嘆息すると素直にその後に続いた。  庭園を抜けて門を出て敷地の外に出る。 「…あれ?今日は庭園じゃないんだ?」 「へ?…え、ええと、人目があるからちょっとね」  慌てたように誤魔化す言霊に、レオは首を傾げる。確かに、庭園では他の従魔に遭遇する可能性は高いが… (いつもなら皆に聞かせたがるのに、変だな?さっきの調子が悪いってことと関係してると思うけど…)  だが、一度話を逸らされた以上、訊いても素直に答えてくれないことは分かっているので何も言わずに後に続く。  レオの住んでいるバッチの館は街から離れた平原に建てられているが、だからと言って敷地を出た瞬間いきなりモンスターが跳梁跋 扈する危険地域になる訳でもなく、加えて言うならこの周囲は拓けていて見晴らしもいいので仮にモンスターが現れても直ぐに察知で きる。ちょっと散歩に出るくらいなら何ら問題はない。  何も無い平原に向かってしばらく歩いて、門が親指くらいのサイズまで小さくみえるようになったところで言霊は足を止めた。 「こ、ここまで来れば誰も現れないわよね」  キョロキョロと周囲を見渡して小声で呟く。余程誰かが来るのが嫌らしい。 (こんなに警戒するなんて、本当に調子が悪いみたいだ…)  レオはいよいよ何かあったのかと不安を大きくする。 「ここでいいの?」 「ま、まあね。い、いいわよ?」  レオが努めて平然と訊ねると、なぜか上ずった声で返事が来た。それほどことは重大なのか? 「分かった。頑張ってね」  あえて元気つけるように微笑んで腰を下ろす。 (とにかく、僕がしっかりしないと。とりあえずは、気絶しないように頑張らないと…)  そんな覚悟を決めて、しかしそれを悟らせぬようリラックスしているように足を投げ出し、上体を支えるように手を地面について…  ムニッ 「やん♪」  その手に柔らかい感触が返ってきた。 (…へ?何だろう?)  そのまま手を動かす。柔らかくて張りがあって膨らんでいて、指を動かすとムニッと反動が返って来る。 「あ…んん…」  それと同時に微かに喘ぐような声が聞こえる。誰かがいるらしいが、姿が見えない。 (う〜ん、でもこの感触…って…) 「…って!?うわああああああああああああっ!!!」 「きゃああああああああああっ!!!ななな、なんですかぁ?か、火事?地震?親父?」 「な、何よ!いきなり大声出して!?」  何かに思い至ったレオは、驚きのあまり悲鳴を挙げて飛び退いた。その声に触発されたように、二つ悲鳴が上がる。一つは言霊で、 もう一つは声だけでやはり姿は見えない。が、その声にレオは聞き覚えがあった。 「え?ちょーちん?」 「あ、この声はレオですね。ちょっと待っててくださいね。えーと…これで…」  声だけがまた返って来て、なにやらぶつぶつ呟いて――多分、呪文詠唱――いるのが分かる。その呟きが終ると同時に、 「はい、これでいいですよね?ええと…レオー、見えますかー?」  ちょーちんが突然レオの隣に姿を現した。 「あ、う、うん。見えるけど」 「それは良かったです。私からも、ばっちりレオの姿が見えますよー」  ニコニコと嬉しそうに微笑むちょーちん。相変わらず少しずれている。 「な、な、なんでアンタがここにいるのよ!?」  完全に予想外の姿に、言霊が驚いて問い詰める。しかし、ちょーちんはその剣幕もどこ吹く風で至って暢気に答えた。 「天気がいいからお散歩してたんですよ。それで、あんまりお日様が気持ちよくって眠くなって、ここで眠ってたんです」 「…姿が見えなかったのはどうして?」  これはレオ。いくらなんでも、こんな見晴らしの良い場所で寝転んでいれば嫌でも目に付いたはずだ。それなのに、実際に隣に座る まで…と言うか、レオの手がその体に触れてしまうまで気付かなかったのだ。 (…触れて…)  触れた時の柔らかさを思い出して、レオは少し顔を赤くする。あの時の感触は、多分、と言うか間違いなく… (って、そんなこと考えちゃダメー!)  慌てて頭を振って思考を追い払う。…もっと凄いことをしまくってるのに、こう言う所は純情なままだ。  ちょーちんはそんなレオの様子に気付かずに、やはり暢気な様子で答えた。 「それはですねー……なんと!姿を消す魔法を使っていたんですよー」 「ええっ!?」  驚きの声を上げるレオ。ちょーちんがそんな魔法を使えるなんて初めて知った。しかも、レオの知る限りでは、ちょーちんと言う種 族の女の子モンスターにそんな魔法を使える者がいるなんて聞いたことがない。 「そ、そんな魔法が使えたの?」 「はいっ。この間、まじしゃんが教えてくれたんですよー」  それから、ちょーちんは顔を曇らせて続けた。 「もう、とっても厳しかったんですから。『ビシバシいくからねっ』って中々放してくれなくて…あーうー…」  その時のことを思い出したのか、ぶるぶると体を振るわせる。余程厳しかったようだ。 (まじしゃんから教わったのか…それなら納得かな?)  まじしゃんは他のモンスターに魔法を教える性質があるし、ちょーちんがまじしゃんに厳しく指導されて泣きそうになっている姿も 容易に想像できる。  補足すると、ちょーちんがいっつもぼんやりしているの見かねたまじしゃんが、強引にちょーちんに魔法を教えたのだ。この姿を消 す魔法は光の屈折を利用しているので光系の魔法を使うちょーちんには相性が良かったということもある。もっとも、この魔法で隠れ ていると、隠れている方も外の様子を確認することはできないため周囲から身を隠すくらいにしか使えないのだが。 「でも、これでお散歩中に急に眠くなっても大丈夫ですよ。えっへん」  因みに、ちょーちんがまじしゃんからこの魔法を教えてもらったのは、これが理由だったりする。 「いや、でも外で寝るのは止めようね?」  胸を張るちょーちんにレオが冷や汗を掻きながら忠告した。ここは人の通らない道外れだからまだ良かったが、彼女の場合は下手す ると道の真ん中でも同じ事をしかねないからだ。 「そ、そんな方法で隠れていたなんて…そこまでしてあたしの歌が聞きたいの?も、もうっ、しょうがないわね」  言霊が嬉しそうに身をくねらせる。今の状況ではレオ以外に歌を聴かれたくないのだが、それでも聞きたいと言う意思を示してくれ る者がいると嬉しいらしい。…まぁ、完全に言霊の都合の良い自己解釈なのだが。 「歌?…え〜と、その…歌って…?」  が、ちょーちんはその言葉を聞いて顔を青くした。レオが神妙な面持ちで深く息を吐いてから告げる。 「その……これから、言霊がここでリサイタルをやるんだ」 「ええっ!?」  いよいよ蒼白になって悲鳴をあげた。以前、ちょーちんは言霊にスポットライトを頼まれことがあり、その時に言霊の歌によって甚 大な被害を受けているのだ。具体的には気を失って翌日まで魘されていた。それ以来、実はちょっとしたトラウマになっている。 「あ、でも、今回はあまり聞かれたくないようだから、ちょーちんは遠慮した方がいいと思うよ」  レオはそう説明したが、ちょーちんはまったく聞いておらず、思考を暴走させていた。 (ううっ、あの歌を聞くのは…あ、で、でも、レオだけを残して行くことなんて…辛い、とても辛い試練です!でも、や、やっぱり、 レオのためにも…う、うん!) 「わ、私もここに居ますから!」  暴走の行き着く先は、そんな発言をさせてしまう。 「そ、そう?本当なら遠慮してもらおうって思ってけど、そ、そこまで言われたら仕方が無いものね。特別に聞かせてあげるわっ」 「……ふぇ?」  嬉しさを隠し切れない言霊の様子に、ちょーちんは頭上に?を浮かべる。言霊だったら、初めから聞かせることを前提にしている筈 だが…  レオは暗澹とした顔でちょーちんの肩にぽんと手を置いた。 「…今回は、言霊はあまり他人に聞かれたくないみたいだったから、ちょーちんは遠慮して良かったんだよ」 「え、ええっ!?」  自爆だった。覆水盆に帰らず、もう手遅れである。一瞬後悔が彼女を襲い、しかしそこで持ち直した。 「で、でも、レオは聞かなきゃいけないんですよね?」 「あ、うん。もう僕は約束しちゃったから」  そう呟くレオの顔は少し引き攣っている。言霊のことが心配な気持ちも勿論あるが、それ以上に言霊の歌の破壊力も知っているから だ。その様子を見て、ちょーちんは自分は間違ってなかったと判断した。 「な、なら、レオ一人残していくことなんてできませんから、これで良かったんです…多分」  ちょっと自信無さ気だが。 「うん。ありがとう、ちょーちん。…お互い、頑張ろうね」 「は、はい…が、頑張りますっ」  ちょーちんはレオの言葉に空元気なりに気張って頷いて、『よしっ』と気合を入れるように胸の前で両拳を握り締めた。その仕種が 可愛かったので、レオは思わず頬を緩めて微笑む。  一方、言霊は「じゃあ、今から準備するから待っててね」と言ってレオ達に背を向けて、それからずっとそのままだ。マーシャルの 準備は出来ているようだから、後は歌うだけなのだが… (どうしたんだろう?)  先程のレオとちょーちんの会話から既に10分近くも経過している。ちょーちんなんて時間を持て余して自分の額についているぼん ぼりを突付き始めたほどだ。  時折、微かにだが言霊の方から声が聞こえてくるので、恐らく発声練習でもしているのだろうが。 (それにしても長いなぁ。いつもなら『あー、あー』くらいで終るのに、だいたい背を向ける事だって初めてのような…)  しかも、時折微かに聞こえる声が、妙に綺麗な声のように聞こえる。 (…小声だから綺麗に聞こえるのかな?うーん、調子が悪いって言ってたことが関係あるんだろうけど) 「ぶーん…ピタ。ぎゅーん…ピタ。ぶうーん…」となにやら夢中になってぼんぼりを突付いているちょーちんの横で、レオは首をかし げて考え込む。そこへ、 「にうっ!(ピシッ)」 「うきゃあっ!…な、何ですかぁっ!?」  ねこまたまたがどこからか猛然と突っ走ってきて、ちょーちんのぼんぼりを弾いた。 「って、ねこまたまた!?どうしたの?」 「別に。レオが居るから来た。それだけ」  答えながら、レオではなくちょーちんのぼんぼりを見つめてうずうずしているねこまたまた。その様子を警戒して、ちょーちんは両 手でぼんぼりを庇いながら身を引いて距離を取る。 「うう…ぼんぼりをピシピシしないで下さいね?」 「ゴメン、楽しそうだったから」  ねこまたまたは素直に謝ると、ちょーちんの反対側のレオの隣にピタッと寄り添うように腰を下ろした。レオはその行動に面食らっ てしまう。 「ど、どうしたの?」 「…ん、ここに座りたかったから」  レオの戸惑いを無視して素っ気無く答えるねこまたまた。単独で居ることを好む彼女にしては、かなり珍しい行動だ。  ふと、レオは思い出したことがあった。 「そう言えば、久しぶりだよね。5日も姿が見えなかったから心配したよ」  ねこまたまたは時々ふらっと姿を消すことがある。ねこまたまたの性質のようなものだから仕方が無いが、5日も離れていたのは久 しぶりだった。イカパラで罠にかかっていた時以来だ。普段なら3日もすれば戻ってくる。 「ん…」  ねこまたまたは曖昧に鼻を鳴らして、そのままレオに引っ付いている。 (…もしかして、寂しかったのかな?)  いつもより長い間一人でいたから、それもあるかもしれない。  レオはねこまたまたの頭に手を乗せて撫でてみた。猫耳に触れないように注意しながら、髪の毛を梳くようにゆっくりと丁寧に撫で る。 「…何?」 「あ、大して理由はないんだけど、嫌かな?」 「…好きにすれば?」 「うん」  拒否されなかったので、ナデナデと頭を撫で続ける。ねこまたまたはくすぐったそうに目を細めて「…にぅ」と鳴いたが、されがま まになっている。無意識の内かぱたんぱたんと尻尾まで振っている。 (尻尾振ってる…気持ちいいのかな?)  嬉しくなって撫でることに集中するレオ。 「…いいなぁ…私もレオに…うー…」  その隣では、ちょーちんがレオに撫でられ続けているねこまたまたを羨ましそうに指をくわえて眺めていた。  更に数分経過―― 「…うーん、とりあえず、やるしかないわよね……もう、いいわよ。…って、何でまた一人増えてるのよっ!?」  ようやく発声練習を終えた…と言うよりも諦めた言霊が振り返り、ねこまたまたの姿を見て悲鳴を上げた。結構騒がしくしていたの だが、本気で気付いてなかったらしい。 「…?…にぅ」 「…なんかムカつくわ…」  ねこまたまたは横目でちらっと言霊を見た後、すぐに関心を無くしたかのように視線を逸らした。その態度に、言霊がコメカミを引 き攣らせる。 「あ、えっと、言霊、もう準備はいいの?」  レオはそれを察して、ねこまたまたの頭から手を放して宥めるように話掛けた。撫でるのを止めたことにねこまたまたは少し不満そ うに顔をしたが、黙っている。  言霊はやや憮然としながらも、軽く息を吐いて気を取り直した。 「…まあね。誰かの前で歌ってみれば、案外元の調子に戻ってるかもしれないし」  決して納得していない様子で呟く言霊。 「…こほん、じゃ、始めるわよ」 (…いよいよか…うん、気をしっかりもとう)  その言葉にレオは覚悟を決めるように居住まいを正し、レオに張り付くように座っていたねこまたまたも釣られたように背筋を伸ば す。  が、ちょーちんはそっぽを向いて何やら落ち込んでいた。 「…私、ずっと無視されてました…しくしく…」  レオがずっとねこまたまたに掛かり切りだったのが不満だったらしい。レオのために残ったのに無視されていたのだから無理もない が。ようやくそのことに気が付いたレオが慌てて宥めようとする。 「あ、ご、ごめん。ほら、もうすぐ始まるから…ほら、その、気をしっかりもたないと」 「ふーん…いいですよーだ、私なんて…」  完全に拗ねていた。レオの言葉にも耳を貸さずにつーんとそっぽを向いている。レオは困り果てて言葉を重ねる。 「本当に僕が悪かったから機嫌直して。今度、お詫びに何でも言うこと聞くから」  こういう状況で言うにはあまりに軽率な台詞であるが、効果は覿面だった。 「…何でも、ですか?」 「うん、約束するから」 「分かりました。許します。えへへ…」  ようやく機嫌を直してにこにこと笑うちょーちんに、レオはほっと胸を撫で下ろす。 「…で、いい加減、始めてもいい?」 「うわっ、ご、ごめん!」 「ひうっ、ごめんなさいっ!」  不機嫌さを露にした言霊に、慌てて謝る二人。言霊は呆れたように嘆息してから改めて言った。 「じゃ、今からはじめるからね」 「う、うん」  緊張して畏まるレオとちょーちん。退屈そうに欠伸をかくねこまたまた。  ………。 「本当に始めるからね?」 「えと、うん」  ………。 「は、始めちゃうわよ?」 「だから、うん」  ………。 「ううー…」  だが、言霊はまだ躊躇ったまま始めようとしない。レオ達がいい加減にどうしたんだろうと不審に思い始めた頃に、ようやく決意し た。 「じゃ、じゃあ行くからねっ!」  宣言してマイクを構える言霊。大きく息を吸って、マイクに向かって口を開き歌い始める。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」  いつもの言霊の歌の通りの珍妙な歌詞が大音量でつむがれていく。が、いつもとは決定的に違うところがあった。 (え、ええっ!?こ、この歌声は…!) 「…とっても、綺麗な声です…」 「にぅ…」  歌詞の内容はともかくとして、その歌声は鈴の音のように清んでいて、美しいと言う形容に相応しいものだった。恐らく、耳にした 誰もが聞き惚れてしまうような、聴く者の心にするりと入って魅了するような歌声。それが、あの言霊の口から発せられていた。 「凄い…」  感心したレオの膝に、不意に重みが掛かる。何事かと見下ろすと、ねこまたまたがレオの膝をまくらに眠っていた。どうも言霊の歌 を聞いている内に眠くなってしまったらしい。決して退屈だったからではなく、言霊の歌声があまりに心地よかったからだ。 「ね、ねこまたまた?」  驚いて、しかし起こしていいものかどうか戸惑い困ったように呟くレオ。 「くー…はっ!……すー………ふえっ!」  その隣ではちょーちんも眠そうに船を漕いでいる。 「ちょーちんも眠いの?」  歌に熱中している言霊の邪魔にならないよう小声で話し掛けるレオ。ちょーちんはとろんとした目でレオに振り向き、膝で眠ってい るねこまたまたを見つけて呟いた。 「……いいなぁ……じゃあ…私は…こっち……くー」  スッとレオの肩に頭を乗せて、寝息を立て始める。 「え?えーと、ちょーちん?」  ねこまたまたに膝を、ちょーちんに肩を押さえられて動けなくなったレオはいよいよ困惑して途方にくれる。  そうこうしている内に言霊の歌が終わった。 「…やっぱり駄目ね、こんな声じゃ……って、レオ!一体何やってるのよ!?」 「いや、その…僕も困ってるんだけど…」  半眼で睨んでくる言霊に、レオは困り果てたように呟いた。 「で、でも、凄く綺麗な歌声だったよ」 「そ、そうです。私なんて、感動しちゃいました」  すったもんだでちょーちんとねこまたまたを起こして。  館に戻る道すがら、レオとちょーちんの二人は完全に機嫌を損ねてしまった言霊を必死で宥めていた。尚、ねこまたまたもレオの隣 を歩いていたが、我関せずと無視を決め込んでいる。…いや、実際に興味がないのだろう。 「ふんっ、今更弁解の言葉なんて聞きたくないわ…何よ、人が真剣に困ってるのに…」 「あ、ええと、そのことなんだけど、何を困ってるの?それって調子が悪いって言っていたことと関係あるんだよね?」  空気を読んでないのかはたまた鈍感なのか、レオはそんなことを訊ねてしまう。  案の定と言うか、言霊は不機嫌そうな視線をレオに向けた。 「あのねぇ…さっきの歌聞いて分からなかった訳?」 「ご、ごめん…分かりませんでした」  にらまれて小さくなりながら答えるレオ。その様子を見て苛めすぎたと思ったのか、言霊は嘆息した。 「はぁ…これくらい気付いてよね、まったく。…私の歌声のことよ。おかしかったでしょ?」  確かに、いつもと違うと言う点ではおかしかったが… 「…凄く綺麗な歌声だったけど」 「…そうですよね」  レオは確認するようにちょーちんに振り、ちょーちんも頷いて応じる。 「…あんたは眠ってたくせに」 「ち、違いますよ。…その、眠っちゃったのは本当ですけど、あれはとても歌声が気持ちよかったからで…つい」 「あ、私が眠ったのもそうだから」  言霊の突っ込みにちょーちんが慌てて弁解し、興味無さそうにしていたねこまたまたも便乗して付け加える。一応、聞いてはいたら しい。 「そうだね。僕も聞いてて、なんとて言うか…凄くリラックスできたから仕方ないと思うよ」  レオまでちょーちんの肩を持ったので、言霊は不貞腐れたようにそっぽを向いた。 「ふんっ、どうせ私の音楽性なんて誰にも理解してもらえないんだわ。いいわよ、もう」 「いえ、そんなことはありませんよ。あなたの歌声があんなことになってしまったのは、芸術にとって大きな損失です」  と、何の前触れもなく現れたスケッチが、自然に会話に割り込んできた。レオとちょーちん、そしてねこまたまたまでもあまりに唐 突な出現に呆気に取られている。 「そうなのよ!分かってくれるのはあなただけよ!」  が、言霊だけは何の疑問持たず、眼を輝かせてガシッとスケッチの両手を握った。スケッチも握り返して鷹揚に頷く。 「ええ、綺麗な声で音程通りに歌うだけなんて誰でもできます。そんなものに芸術性がある筈がありません」 「そうなのよっ!私の内に溢れる音楽性は、あんな小奇麗な歌声じゃ表すことなんてできないわっ!芸術は爆発なのよーっ!」 「そうです。爆発です」  二人とも背景に炎でも燃え上がらんばかりに盛り上がっていて、一種異様な空間が形成されていた。レオはなんとも割り込み難そう な…ぶっちゃけ突っ込み辛い空間を前にして、疲れたように嘆息する。 (…そっか、言霊って綺麗な声で音程通りに歌おうとしてなかったんだ。道理で…)  ついでに何気に失礼なことまで考えていた。 「と言う訳でレオ!」 「な、何?」  突然言霊に名前を呼ばれ、考え事が読まれたかと焦るレオ。が、その心配は杞憂だった。 「私の歌声を取り戻すのに協力してもらうわよ」 「…は?」  聞き返すレオに、言霊は一言一言いい聞かせるように繰り返す。 「だ・か・ら!私の歌声を元に戻すのよ!こんな声じゃ二度と歌えないわ!」 「ええっ!?で、でも、折角綺麗な声になったのに?」  驚くレオに、言霊とスケッチはしらけたような視線を向ける。 「レオ、ダメダメです。芸術と言うものがまるで分かってません」 「そうよ。私の歌は、あんな軟派なものじゃなくて、もっと強烈で鮮烈なものなのよ!わかる?」 「わ、分からなくもないけど」  確かに、以前の言霊の歌は強烈にして鮮烈に過ぎたが。 「だったら、私の歌声が元に戻るように協力してくれるわよね?」 「そ、それは……」  本心では今のままの方がいいと思うのだが、そんなことを馬鹿正直に言うことはできない。  助けを求めるように周りをみると、ちょーちんは困り顔で首を左右に振り、ねこまたまたは無関心を決め込んでいた。 (…うう、どうしよう…でも、言霊が二度と歌えないってくらい思いつめてるんだから、協力するしかないよね)  覚悟を決めて一度深呼吸。 「分かったよ。このままにしておく訳にはいかないものね」 「その通りです。レオ」 「ふ、ふんっ、当然よ」 「わ、私もお手伝いしますから、頑張りましょうね」 「…にぅ」  かくして、ミッション『あの歌声をもう一度』が始まったのだった。  と、それはさておき、レオは先程から気になっていたことをスケッチに訊ねることにした。 「ところでスケッチ」 「何ですか、レオ?もしかして欲情してますか?」 「いや、それはないけど…さっきの言霊のリサイタル、スケッチも聴いてたんだよね?」  意味不明な言葉をさらりとスルーして本題を切り出す。 「ええ、もちろんです。でなければ、あんなことは言えません」  何を当たり前のことと言いたげな様子で答えるスケッチ。確かに、スケッチの言う通りなのだが。 「一体どこで聞いてたの?僕たちの周囲には居なかったと思うんだけど…」  言霊が歌っている時にスケッチの姿は見ていない。加えて言うなら、会話に割り込んできた時もどこから現れたのか全然分からなか った。 「………」  スケッチは暫しの間何を考えているのか読み辛い表情で沈黙して、 「…知りたいですか?」  ぽつりと、思わせぶりな態度で呟いた。 「う、うん」 「…本当に、知りたいんですね?」 「え?ええと…」  再度訊ねられて、うろたえるレオ。そんなレオに、スケッチは再度確認する。 「…後悔、しませんね?」 「…ごめんなさい、やっぱりいいです」  断念した。何やら知ってはいけないような予感がしたからだ。 「…ふふっ、そうですか。懸命な判断です」  スケッチは意味ありげな笑みを一つ残して、何事もなかったように話を打ち切ってしまう。 (…な、何だったんだろう、今の…?……か、考えない方がいいよね、うん)  レオはどことなく薄ら寒い感じを覚え、これ以上考えないようにした。  続く 後書き GALZOOでは続き物はやるつもり無かったのに… ども、KINTAです。続きもののGALZOOSSをアップしました。まぁ、続き物といっても長くても4話で終りますが(理想3 話)。 今回は…まぁ、なんと言うか、かなり無茶な設定増やしてますが笑ってスルーしてくれると嬉しいです。いや、ほら、ちょーちん出し たかったし(ぉ しかし、言霊は意外と難しかった。最初何も考えずに書いてたんですが、途中で「このツンデレじゃバニラだ!」と言うことに気付い て会話文を変更。やー、ツンデレとは奥が深いですね(笑) あとスケッチが地味にむずい。あーゆー不思議系はキャラがつかめないから大変だ。 あー、最後が上手く締めれなかったのは今でも悔い…後日、修正できたらするかも。 因みに、この話はサルファが従魔から離れている間に起こった話です。や、本気でどーでもいいですけど。